2013年12月13日にダイヤモンド社より出版された
「嫌われる勇気」という本ですが
今だに売上の上位をとっているベストセラーになっています。
なぜ、この本の内容を取り上げるかというと
お金持ちは、承認欲求が少ない
ということなんです。
しかし一見、興味はあるけど
なんとなく怖そうで見たくない本の「タイトル」ですよね。
解説していきます。
承認欲求の意味は?
承認欲求の意味は
自分自身は価値がある存在なんだ!
と認めたいという欲求のことを言います。
「尊敬、自尊の欲求」とも呼ばれています。
承認欲求の例
- 部下の評価を下げ、自分の立場を確保または上昇させる上司
- インスタ、Twitterなどで「いいね」の数が気になって仕方ない人
- テストでいい点数とれたよ、と自慢する子ども
など、誰かに認められたいにも様々な表現があるとされています。
アドラーの考え
まず、初めにアドラーは賞罰教育を否定しています。
簡単に言うと、
「良いことをすれば褒められる」
「悪いことをすらば、怒られる」です。
この賞罰教育が染みついてしまうと良くないとアドラーは言っています。
賞罰教育とは
賞罰教育とは具体的に、どういうものなのか。
生徒が汚れた机を拭き掃除していている
▼
発見した先生が「いい子だねぇ!」と褒める
一見すると普通の流れですし、違和感なく悪いところが見えません。
アドラー心理学の考えに当てはめる
アドラー心理学の考えに当てはめると
手段として「褒める」を無意識に使っている
かもしれない。そんな感じです。
その「報酬」を貰うために、また掃除をする。
しかし、今まで褒められ続けた子は仮に誰も褒めない状況になった時に
果たして掃除を続け、継続していくのか?
といった感じです。
ようは、小さな頃から「承認」を求める基礎が出来上がってしまい
褒められたから、叱られたからという基準が無意識に出来上がり
本人の価値観を失ってしまう。
そして、誰かの顔色のために生きることになってしまうと言うのです。
大げさに言ってしまうと「自分をなくしてしまう」ということですね。
褒めすぎ教育の問題
現代社会において、教師の懲罰等が表面化している中
「褒めて伸ばす」という風習は、さらに加速しつつありますよね。
しかし、学生から社会に出た時
今までは「今までは、よく褒められたのに・・・」
「誰のために仕事してるんだろう」という
思いを抱く方が増えているのも事実ではないでしょうか。
承認欲求を捨てる
承認欲求を捨てるためには、どうすればいいのか?
他者のために生きるということを目的にしてはいけない。
【他者のために生きるのをやめる=自己中心的に生きる】
ということではありません。
誰かの期待のために生きるのではなく
他者貢献をすることに幸せを感じていこうと言っています。
他者貢献のために課題を分離する
課題を分離するとは、いったいどういうことなのでしょうか?
課題の分離の例
A部長から仕事を渡され、B君は仕事をキッチリ済ませますが
承認欲求の強いB君はA部長に嫌味を言われたくないため本来しなくてもいい
A部長の仕事まで、済ませてしまいました。
この例の問題点は、「自分の課題」と「上司の課題」を
分けていないことにあります。
部長Aが皆から良く思われていないのは「上司の課題」であり
B君の課題ではないからです。
本来B君は、キッチリ仕事を終わらせているのですから、やるべき課題をクリアしています。
にも関らず、承認欲求が邪魔してしまい、部長Aのために時間を使ってしまっています。
他者貢献の場合は
部長Aの仕事をやることで次のスキルステップアップになったりと「自分の課題」になるのであれば
他者に介入してうえで自分の幸せに繋がりますので例は成立します。
承認欲求を捨てることは容易ではない
しかし、承認欲求を捨てることは容易ではありません。
なぜならば、太古のはるか昔から我々の体には「承認欲求」のDNAが出来上がっているからです。
集団行動や組織として生き残り歴史を刻んできた人類は
「嫌われたくない」「認められたい」が
DNAに染みついています。
まとめ
- ①他者の期待のために生きることをやめるべし!
- ②自分の課題と他者の課題を混同せず、自分の課題に集中するべし!
①承認欲求の意味とは
②アドラー心理学の考え方
③承認欲求を捨てる方法
④承認欲求を捨てることが容易ではない理由